第二弾 : セクシャルマイノリティのカミングアウトについて語る
【対談のはじめに】 今回は”カミングアウト”をするべきなのか!しないべきなのか!ということではなく“カミングアウト”本来の意味を、もう一度考え直してみたいと思います。
そもそもカミングアウトとは、これまで公にしていなかった自らの秘密や少数派の主義、立場である事を表明することを指しますが、実際にセクシャルマイノリティの問題に関わらず、誰しもが悩みは抱えて生きているかと思います。 カミングアウトをするかしないかは本人の自由です。する人が正しいわけでも、しない人が正しいわけでもありません。 どちらかを否定したり、押し付けたりするのではなく、両者の思いやそれぞれの言い分なども考慮した上で、自分はどうしてゆきたいのかを見つめられるキッカケになれば幸いです 。 ↓へ読み進めてください
Q: カミングアウトをする人としない人に分かれる理由はあるのでしょうか。堀川コメント 例えば、GIDで戸籍変更済みの方や、既に自分の認識している性自認で社会的生活をおくっている方の多くは、わざわざカミングアウトする必要は無いと思っています。
同性愛者の方にしても、特に言う必要も無いという方もいる一方で、やはり周囲の視線を気にされていて、ならばカミングアウトをした方がよい・・、という方もいると思います。また、相手を戸惑わせてしまうのでは・・等、様々な理由からカミングアウトをされない方、もしくは立場上できない方もいます。
逆に、公にされている人の全てが周囲から受け入れられているという訳ではありません。中にはカミングアウトをしたことで、付き合い方が変わってしまったり、離れてゆく人もいます。その反面、何でも話せるような深い関係になるというのも事実としてあります。
いずれにしても、する人としない人の別れ道というのは、その人がどうしたいのかという意思と、周囲の環境等によって変わってくるものだと思います。
松浦コメント 確かに、カミングアウトする方の意思だけでなく、周囲の環境による部分もありますよね。何でもかんでもカミングアウトできる世の中であればよいとは思いませんが、ただ少なくとも、カミングアウトしたいという意思があった場合には、それを受け止めることのできる世界・人で在りたいと思います。
つまり、カミングアウト自体が“すべきかどうか”という葛藤の対象になるのではなく、たとえば、「そろそろ言う頃合いかな?」「言いたくなったから、そろそろ」というような“タイミング”を考えればよいような、そしてそれを周囲が当たり前のように受け入れる・・、よい意味で受け流せるような環境になればよいですよね。
いずれにしても、言う側と、言われる側の両面があるわけですから、双方が意識を持たなければならないところだと思います。とはいえ、まだそのような世の中ではありませんし、言う側にはものすごく勇気のいる事ですから、言われる側として、どのような対応・反応が、当事者に負担を掛けない受け止め方かは知っておきたいと思います。この辺りは、堀川さんいかがですか?
我々、LifePoint(s)(以下、ライフ)としては、ヒューマンフリー(ライフの造語)という、広くは、性や、国籍、等、狭くは社会的な役職・階級・年齢・障害など、あらゆる垣根を超えて“人(ヒューマン)”という単位での意識を持てるようなビジョンを掲げていますから、バシッとお願いします(笑)
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Q:カミングアウトをされた側はどう反応をとればよいのでしょうか?堀川コメント ヒューマンフリーな社会!自分達で掲げていて言うのも何ですが、めちゃくちゃいいですね(笑)。
僕が思うのは、友達などからカミングアウトされた方は、思ったことは素直に相手に伝えればよいと思います。相手を傷つけることを恐れ過ぎて、変に遠慮や気を遣われてしまう事の方が、こちらも気を遣います。 確かに踏み入って欲しく無いところもあるかもしれません。けれど、それはセクシャルマイノリティの問題だけに限りません。仮に、離婚された方がいたとして「何故離婚したの?」という質問を、初対面の人がするのと、親しい友人が言うのでは異なってくるかと思います。 その質問に対し、聞かれたくなかった。と思う人もいれば、話す事で相談相手ができスッキリする方もいることでしょう。ですので、「セクシャルマイノリティの人を絶対に傷つけてはいけない」と変に縛られずに、普段自身が人間関係において接しているように接すれば良いかと思います。 日常生活の中でも、人として、すべきこと、そうでないこと、言われて気持ちのよいこと、悪い事、色々とあると思いますが、普段から自分が判断をして人と接するのと同じような気持ちでいてもらえればよいのではないでしょうか。
【お読みいただいている皆様へ】 “カミングアウト”は、その仕方、考え方においても、十人十色だと思います。その方の置かれているシチュエーションでも、全く異なってくると思います。ただ、共通して言える事は、カミングアウトをする側にしても、される側にしても、単にそこで区分けないように考えていただきたいということです。冒頭でもお話しをした通り、カミングアウトはセクシャルマイノリティに限ることではありません。誰しもが、する側であり、される側となるものです。 ですから、「自分も、する側かもしれないな。もし自分が相手の立場なら・・」と、思いやりを持って、見方を変えていけることが、目指すべき方向なのだと思います。
感性のするどい皆さんですから、お分かりかと思いますが、ライフの活動は、入り口はセクマイのことから入って行きますが、ゴールは「人」に辿り着いているのです。なので、セクマイに限らない悩みや、相談なども、どうぞご遠慮なくくださいね。 今月もお読みいただきありがとうございました。
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