第一弾 : セクシャルマイノリティ・LGBTのこれからの世界について語る。
【対談のはじめに】 我々の共通意識としては、セクシャルマイノリティ・LGBT当事者の方にとって少しでも過ごしやすい日常を作りたいというところがあり、そして、そこを考えた時、セクマイだけの事を考えていては、根本的な解決にはならない、もっと“人”について考える機会を増やしてゆく必要があるという意識的な点があります。セクマイに限らず、いじめの問題でもそうですが、根本にあるものは、人の問題です。そこを見ていかなければ、本当の解決にはならないと考えているわけです。この前提を頭の片隅において、読んでいただけると、とてもありがたいです。 ↓へ読み進めてください
Q: これから堀川さん、我々の目指すところについて教えてください。堀川コメント 僕の目指すところは、極論を言えば、性別による区分けのない世界を作ること。感覚としては「性別は“人”です」のような感じ。誰もが、男、女という以前に、人として向き合えるメンタリティを持てるような世界になれば、とても気持のいい世の中になるのではないかと考えています。 そうなれば、自分を隠す、偽る必要もなく、当然カムアウトも必要がない、そんな風になるのではないでしょうか。
松浦コメント 堀川さんが言われているのは、男女差別のない世界だとか、性別というもの自体を無くしたいということではないのですよね。また、たとえば、レズビアン(以下、ビアン)、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(以下総称、LGBT)の方の “権利を!”というものでもないのでしょうか?
堀川コメント そうですね。LGBTの方が、もっと過ごしやすくなるような法律・医療制度が確立すれば、それはとてもうれしいものだし、そうなるように声はあげてゆきたいと思います。 ただ、制度などで“権利”を獲得したとしても、それはあくまで過ごしやすくなるためのツールのようなものであって、それで全てが解決するわけではないのです。もちろん、それらは必要なものですよ。法律・制度が整えば、どれだけ心の負担が減るか想像できないほどです。けれど、僕が言いたいのは、それだけでは、本当の意味での悩みは消えないということなのです。そこを何とかしたいですね。
松浦コメント つまり、権利、というものを得たとしても、当事者の方に対する世の中の見方、見え方が変わるわけではない。権利とメンタリティの両輪が整わなければ、本当の意味でのフラットな世界になったとは言えない、ということですよね。 もちろん、法律等の制度が整えば、性別は二極が当たり前、また、カップルは当然に男女、という意識は変わってくるところもあるかもしれませんね。制度の確立をきっかけに、世の中が、LGBTの方の事を考える機会が増えてゆくでしょうし。
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堀川コメント それもありますよね。ただ、世の中の意識的なところが大きく動いてゆかなければ、そもそも法律・制度を作るための後押しにはなりませんから、やはり両輪で進めてゆく必要はあります。そしてそこでの僕の役割は、メンタリティの部分を動かすための活動をすることではないかと考えています。 私達が悩んできたことは、制度の不備だけではありません。前述したような、性別以前に人として向き合えるメンタリティが定着しないかぎり、周囲へのカムアウトの悩みは続きますし、自分自身を偽りながら過ごさなければならないという苦しさも続きますから。
松浦コメント カムアウトのいらない、そんなメンタリティのある世界ができれば、LGBTの方だけでなく、社会全般もっと過ごしやすくなるところもあるかもしれませんね。 少し意識して世の中を見ると、あまりに性別を前提にしたものや考え方は多いですし、そもそもなんで性別を問われる必要があるのかという違和感のある場面も少なくない。 世の中、障害のある方、高齢者にとってのバリアフリー、ノーマライゼーションという点に触れることは多くはなってきたけれど、見た目では分かりづらい部分に関しては、まだまだそうした考えは進んでいないように思います。だからこそ余計に堀川さんの考える世界観に賛成です。
Q: どうすればそういった世界に近づいてゆけるのでしょうか?堀川コメント 私個人としては、小学校、中学校などの時点で、男女というものを越えて、人間というものを考える時間がもっととられるようになればよいと考えています。LGBTについて理解をしてもらうことも大切ではあります。しかし、そこを強調しすぎてしてしまうと、特別感が拭えないというジレンマもあります。ですから、冒頭でもお話しをしたような、もっと、“人”という単位で性を考えてゆけるような、そんな考えを、自らの体験と重ねながら、講演や教育などもしていきたいですね。そうした活動が、きっと僕が目指したい世界のために、実を結ぶと考えています。
松浦コメント 私も賛成です。人、を考えるというのは、自分を見つめること、命を考えることなのかなと思いました。 自分はどこから来たのか、なぜ存在するのか、というようなことは分からずとも、ただ少なくとも、世の中には、命という全てに共通するものがあって、それぞれが葛藤していて一生懸命生きている、皆同じということに気付きますよね。 そこが腑に落ちれば、LGBTの方が世の中に望むことだけでなく、いじめや、そういったものも少なくなってゆくのではないかと希望が見えた気がします。そうした学びの場が、教育機関等に定着するよう、私達もアピールしてゆきたいですね。
【お読みいただいている皆様へ】
- 身近なところでは、こうした問題について偏見なく向き合ってくれる方、性別ではなく、人として向き合ってくれる方が、いかに多いかということに、うれしく思う機会が多々あります。しかし一方で、社会的偏見から追いやられてしまう方も多いという実情があります。
- この対談は、雲の上の話をしているわけでも、宗教的考えに基づいてのものでもありません。単純にいえば、世の中に、こうした問題があり、そしてそれは、私達の意識と、法制度等で解決できるところが多いということをお話ししているに過ぎないものです。
- 本件に限らず、色々な問題はあります。そうしたものを、一つずつクリアにできれば、きっともっと楽しい毎日になるんじゃないかと、そういった想いもあり、対談を掲載させていただきました
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